3月8日「国際女性デー」に思う
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古賀伸明
元連合会長
公益社団法人国際経済労働研究所会長
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1900年代初頭には、米国で女性の参政権や労働条件の改善などを訴えて、デモやストライキが行われた。特に1908年にニューヨークで発生した縫製労働者のストライキが契機となり、米国は1909年に「全米女性の日」を制定した。
翌年には、17カ国の女性100人以上が参加して開催されたデンマーク・コペンハーゲンの会議で、女性の権利を求める運動を称える国際的な「女性の日」が制定される。その決定を受け、オーストリア、デンマーク、ドイツ、スイスで、初の「国際女性の日」記念行事が行われ、100万人を超える男女が参加したといわれる。
その後、第一次大戦、第二次大戦を経て、45年に署名された国連憲章は、男女平等という原則を確認する初の国際的な合意だ。国連は全世界で女性の地位を向上させるための国際的に合意された戦略、基準、プログラムおよび目標の推進に貢献してきた。その一環として、75年に国連は3月8日を「女性の権利運動を称え、社会参加や地位向上を訴える日」として「国際女性デー」と制定し、2年後に国連の定める公式な日に認定した。
75年には国連の第1回世界女性会議がメキシコ・メキシコシティで開催され、以降4年~5年ごとに開催予定とされた。特に、第4回目の95年に中国・北京で行われた会議は、歴史的な会議として伝えられている。
北京会議には、189ヵ国の政府が参加し政府代表は約6,000人、国連との協議資格を有するNGOから4,000人を超える人々が集まり、会場で開催されたNGOフォーラムには、約30,000人が参加した。国連が開催する世界女性会議の歴史上、最も多くの政府、最も多くの女性団体やNGOが参加した会議とされている。日本からも約5,000人が北京を訪れた。
この会議では「北京宣言」と「行動綱領」が採択された。特に「行動綱領」は女性の貧困や教育など12分野の目標を掲げ、女性の権利や平等に関する包括的な戦略を提示し、世界中の政府や国際機関に具体的な行動を促した。また、ジェンダーという言葉が初めて公式に使われ、あらゆる政策にジェンダーの視点を取り入れることが提唱された。
今月8日には、国や民族、言語、文化、経済、政治の壁などに関係なく、世界中で女性たちの功績を祝福し、ジェンダー平等について考えるさまざまなイベントが開催された。今年は例年になく、日本のマスコミも「国際女性デー」を多く取り上げたように感じた。
女性は世界の貧困層の多くを占めるなど、今でもジェンダーによる影響を受けやすい環境にある。しかし、ジェンダーフリーの社会を実現することは、SDGs(持続可能な開発目標)の実現のためにもなくてはならないものだ。また、基本的な人権としての差別をなくすことはもちろんのこと、女性が本来持っているさまざまな能力を発揮することは、組織や社会にとっても極めて重要なことだ。
「男の仕事」や「女の仕事」とか、「男らしさ」や「女らしさ」ではなく、誰もが「自分らしさ」を発揮することを認め合い、豊かに生きられる社会にしていきたいものだ。
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