ことばが社会にもたらす影響を考える
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秋田 義一
一般社団法人 話力総合研究所 理事長
一般財団法人AVCC理事
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適切なことばは、長期的に良い結果を社会にもたらします。場当たり的な、あるいは考えが十分でない不適切なことばは、おそらくどこかで破綻します。
1980年代から2000年代初めまで行われた教育施策に「ゆとり教育」があります。覚えていらっしゃる方も多いでしょう。当時の知識量偏重の教育を見直し、学習者に焦燥感を与えずに(ゆとりを持たせて)、学習者の思考力や創造性を磨くことをめざした施策であったと理解しています。その施策に「ゆとり」教育ということばをあてました。ゆとりを持たせることと、思考力・想像力を伸ばす教育を実践することがこの施策の両輪だったはずです。しかし、「ゆとり」ということばだけが独り歩きしてしまったようです。授業時間の短縮や「円周率=3」といった教育がすすめられました。
後年、中央教育審議会の会長として「ゆとり教育」を進めた有馬朗人先生(元東大総長、文部大臣)が、施策がうまくいかなかった悔しさを次のようなことばでおっしゃっていました。『「ゆとり教育」ということばがよろしくなかった。現場が誤解した。』おっしゃる通り。現場を誤解させたのは「ゆとり」ということばです。ことばが独り歩きしてしまいました。
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これはほんの一例にすぎませんが、本来の意図を適切に表すことばをあてないと、このようなことが起こりうるよい例です。他にもいろいろありますよ。「個人情報保護法」もそのひとつではないでしょうか。本来は個人の権利・利益を損なうことなく、個人情報を適切に活用することを目的としていたはずです。現実は、「保護」ということばが独り歩きしました。当初は災害弱者支援のために住所などを知ろうとしても、「個人情報だから出せない」などということもあったように記憶しています。
最近も、「事前防災」などということばを聴きます。「防災」とは「災害を減じるための事前の活動」です。では「事前防災」とは?「事前に、災害を減じるための事前の活動」でしょうか。おかしいですね。安易にことばを作っています。これにとどまらず、「事前復興」などと言いだしています。「復興」とは「一度衰えたものが再び元に戻ること」です。事前には戻りません。まだ衰えていないのですから。ことばとして、たいへんおかしい。これらのことばが、今後どのような副作用をもたらすかはわかりません。不適切なことばは、必ずどこかで破綻するでしょう。専門家は、もっともっと、ことばが社会に及ぼす影響を考えるべきです。
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