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メッセージ from KK2
KK2weekly【メッセージfromKK2】(第896号 2025年6月27日発行)by AVCC
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記憶に残り続ける長嶋茂雄さん
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古賀 伸明
元連合会長
公益社団法人国際経済労働研究所会長
一般財団法人AVCC理事
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「ミスター」の名で親しまれ、日本のプロ野球界の象徴ともいえる存在だった長嶋茂雄さんが去る6月3日に、この世を去った。89歳で亡くなった長嶋さんは、昭和や戦後を代表する比類なきスーパースターだった。日本のスポーツと国民の心をつなぎ続けたその功績と人柄に、あらためて深い敬意と感謝を捧げたい。
長嶋茂雄さんが読売ジャイアンツに入団したのは1958年。いきなり開幕戦で4打席4三振という鮮烈なデビューだったが、それは彼の劇的な野球人生のほんの序章に過ぎなかった。その年、本塁打王と打点王の二冠に輝き、新人王を獲得する。その後のキャリアは、まさに「国民的スター」の名にふさわしく、74年に現役を引退するまで、多くの記録を打ち立てた。しかし、その真価は単なる「成績」や「結果」の数字よりも、人々の脳裏に刻み込まれた数々のシーンにあった。昭和天皇が初めて観戦した59年の天覧試合でのサヨナラ本塁打に代表される、ここぞという場面で期待を裏切らない勝負強さ。65年から始まる巨人のV9時代を牽引し、輝かしい成績を残す一方、豪快かつ華やかなプレースタイルで球場を沸かせた。盟友王貞治さんとのON砲で魅了した打席ばかりか、猛烈な打球に飛びつき、一塁への送球後に見得を切るように右手をなびかせる三塁の守備でも喝采を浴びた。ヘルメットを飛ばす豪快な空振りにさえ、プロ野球ファンは熱狂した。勝利への執念、野球への純粋な愛情、そして何よりも「長嶋語録」と称される独特の言い回しやジェスチャーは、老若男女を問わず幅広い層に愛された。
長嶋さんの選手人生は戦後の焼け跡から経済大国への歩みとともにあった。背番号3が紡いだ物語は「明日は今日よりもきっと良くなると信じ、働き生きた」昭和の人々を勇気づけた。陽気な人柄もあって「巨人は嫌いだが、長嶋は好き」というファンがどれほどいたか。監督としても巨人を2度にわたり率い、94年はリーグ優勝をめぐる中日との「10.8決戦」を制した上、日本一に輝いた。96年には首位広島との11.5ゲーム差を逆転してリーグ優勝を果たした。王監督率いるダイエーと日本一を争った2000年のミレニアム決戦には、日本中が沸き立った。劇的な展開が次々と現れるのも、長嶋さんならではのことである。日本代表監督としてアテネ五輪を目指していた04年、脳梗塞で倒れて身体が不自由となった。それでも厳しいリハビリに励む姿を公開し、機会があれば表舞台にも出た。常に人に見られる存在であることを、自らに強いた。それが同じ障害に苦しむ人々に勇気を持ってもらう一助となる、そう信じての行動だったのだろう。
長嶋茂雄さんの死は、一つの時代の終わりを告げるものかもしれない。だが、彼が残した言葉、姿勢、そして数々の名場面は、今後も語り継がれていくだろう。その存在は、野球という枠を大きく超えて、戦後日本社会の記憶に残り続けるはずだ。スポーツは、人を育て、社会を照らし、未来をつくる力があることを私たちに教えてくれたのが、他ならぬ長嶋茂雄さんだった。改めて、心よりご冥福をお祈りする。
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古賀 伸明
1952年生まれ。松下電器産業(現パナソニック)労組中央執行委員長を経て、2002年電機連合中央執行委員長、05年連合事務局長。09年から15年まで第6代連合会長を務めた。その後22年まで連合総研理事長を務め、現在は国際経済労働研究所会長。一般財団法人AVCC理事。
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