沖縄を知り、沖縄に学ぶ
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石原端子
沖縄大学准教授
一般財団法人AVCC評議員
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8月に入りました。沖縄の8月の平均気温は、32~33度。あいかわらず湿度は高いものの、海風が吹く日は湿りっけを吹き飛ばしてくれます。先週、前期の15コマの講義がすべて終了しました。教員にとってはこの日が最も「やったぁ~」な日です。ご褒美に同僚と回る寿司を食べに行きました(笑)。しかし、歓びはその日だけ、翌日からは黙々と成績評価をつける悩ましい時間が始まるのですが…。
今年は、「戦後80年」の文字をよく見かけます。2013年から沖縄に住み始めた私は、恥ずかしながら6月23日が何の日か知りませんでした。私の沖縄戦の学びは、そこから始まりました。今年、初めて「沖縄全戦没者追悼式」に参列しました。参列を決めたきっかけは、今年95歳になられる翁長安子先生から直接沖縄戦のお話を聴いたことでした。翁長先生は、沖縄戦体験者です。1945年当時は15歳でした。沖縄戦を生き延び、戦後小学校教諭をしながら沖縄戦の語り部を続けてこられました。なぜか。それは戦時中、永岡隊長と交わされた「生きて、この戦のことを語ってくれ」との約束を誠実に守っておられるからです。
初めて話を聴いたのは4月でした。沖縄戦終結直後、あちこちに散乱する遺骨を素手で拾い集め、みんなで「魂魄之塔」を建立した頃のことでした。2回目は5月、「軍国少女だった」15歳の先生が親の言うことをきかず疎開を拒み、郷土部隊の永岡隊に入隊した時のこと、第32軍が撤退した後も最前線の首里に残った永岡隊のいた壕が爆撃された時のこと、死体がころがる血の海のなかを負傷した身体で何度か意識を失いながら這いつくばって逃げた時のこと、すべての出来事を鮮明に語られました。3回目の6月には、翁長先生が負傷しながら逃げたその経路を辿るフィールドワークに参加しました。当日は湿度90%を超える蒸し暑い日でした。参加者は、永岡隊慰霊碑がある安國寺境内に集合し参拝した後、一緒に歩き始めました。「傷を止血した身体で這いつくばりながら、この歩きにくい石畳を下っていかれたんだね、たぶん裸足だよね…」そんな風に心のなかで想像してみました。何度も出てくる「暑い」という言葉を飲み込みながら黙々と歩きました。
 魂魄之塔(こんぱくのとう)沖縄県糸満市(筆者撮影)
翁長先生の語りは、ただ生きているのではなく、必死で命をつないできた先人の生を伝えようとする使命感に溢れています。毎回、あなたはしっかり生きていますか?と問いかけられているように感じていました。さて「沖縄を知り、沖縄に学ぶ」、ここからが重要です。私はどう生きるのか…。そのことについては、10月10日開催予定の第12回デジタルTERA小屋で、お話しできればと思っています。
<翁長安子先生に関する参考資料>
■日本経済新聞 YouTube (2025/07/04)
【沖縄戦80年】AIは歴史を語れるか 語り部は虚構に何を思う【NIKKEI Film】
■OKINAWA NEWS by QAB YouTube (2024/05/23)
戦争体験者の道のりを辿るフィールドワーク【#IMAGINEおきなわ】65
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