八十八の手間を、次の世代へ ― 水と人の新たな調和を! ―
|
久保田了司
一般財団法人AVCC理事長
霞が関ナレッジスクエア(KK2)代表
|
幼い頃、母に教わりました。「米」という字は、分解すると「八」「十」「八」になる。お米ができるまでには、農家さんの八十八もの手間がかかっている。だから一粒も残してはいけない、と。
八十八は正確な作業数というより、「数えきれないほど」という先人の実感でしょう。種もみを選び、苗を一か月育て、畦を塗り、水路の泥を上げ、代かきをして田を平らにならす。夏は毎日、朝晩に田を一枚ずつ回って水位を見る。深く、浅く、中干しで乾かし、穂が出ればまたたっぷりと。台風が来れば、夜でも雨の中でも水門を見に行く。そして稲刈り、乾燥、籾すり―― 。
昨年、米は「高い」と嘆かれました。備蓄米の大量放出の後、増産方針が打ち出され、今年は一転、「激安」と聞きます。消費者にとって安さはありがたい。けれども私たちは、単なる米の買い手ではないはずです。八十八の手間に見合う収入が作り手に届くこと、そしてデジタル社会の恩恵によって農業の運営が持続可能になること―― そこに自ら手を貸し、応分の負担を引き受ける気持ちが欠かせません。
一杯のご飯は、田んぼだけでは実りません。水は上流から下流へ流れ、複数の集落や農地が一つの水利システムを共有しています。誰がいつ水を取るのか、渇水時にどう配分するのか、水路の維持管理を誰が担うのか―― 地域ぐるみの調整の上に、米作りは成り立っています。

荒野を水田に変えた朝穂堰(山梨県北杜市と韮崎市にまたがる全長約25kmの用水路)2026年10月1日筆者撮影
その足元が揺らいでいます。農業者は高齢化し、離農により担い手は減り、用排水路やポンプは老朽化し、電気代や修繕費、人件費、資材費も上がり続けています。加えて近年は線状降水帯による局地的豪雨が全国各地で頻発し、平常時には農業用水を運ぶ水路が、豪雨時には地域の排水、防災、治水にも深く関わる重要インフラとなり、治水の負荷まで背負うようになりました。負担は増え、収入は細る。安く買えた今年の一俵が、来年の作り手を失わせるとしたら、それは誰にとっての「得」でしょうか。
必要なのは、需給バランスだけで価格が決まるという発想からの脱却です。いま求められるのは、「水を使う社会」から「水を賢く管理する社会」への転換です。
鍵は、人の経験とデジタル技術を組み合わせることです。取水口や水路の水位を測り、雨量・気象データと結んで、手元の端末で確認できるようにする。異常水位はアラートで知らせ、必要箇所は遠隔で操作すれば、夜間・豪雨時の危険な巡回が減ります。
さらにAIが気象予測から水需要を読み、渇水時にも公平で合理的な配水を支えます。守りだけではありません。水田は大雨時に雨水を一時的に貯留する「田んぼダム」として機能する可能性があり、用水路、水田、排水路を一体的に管理することで、下流域の洪水被害軽減に貢献できます。八十八の手間が、地域の安心を生む力に変わるのです。
そして何より、治水や水利施設の維持管理は、もはや農家だけが費用や労力を負担するものではありません。非農家を含む地域住民全員で支えるべき公共的な地域インフラです。水位情報を見える化して誰もが見られるようにすることは、地域住民の当事者意識を育て、将来の維持管理体制を支える社会基盤づくりでもあります。
米を買うとは、水と土と人を買い支えること。八十八の手間を次の世代へ引き継ぐため、「水と人の新たな調和」を今こそ築こうではありませんか。
|