PFIと霞が関ナレッジスクエア

はじめに
1.PFIのグローバルナレッジセンター構想とKK2創設の経緯
(1)霞が関の歴史
(2)国の機関庁舎建て替え方針
(3)中央合同庁舎第7号館等のPFI方式による整備
(4)新日本製鐵グループのナレッジセンター構想
2.KK2開設からの経過
3.当初理念と近年の動向
4.PFIの終了と二期計画
5.今後の展望

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はじめに

霞が関ナレッジスクエア(KK2)は、そのWebページの冒頭で、「文部科学省、金融庁、会計検査院と民間企業が同居する「霞が関コモンゲート」(中央合同庁舎第7号館)に2008年1月に創設された “民設民営”の「デジタル公民館®」です。「共に考え、共に学び、共に担う社会へ」をミッションに掲げ、若者からシニアまで多様な人々が学び交流する「リアルな場」と、インターネットに接続した情報端末(パソコン・スマホ等)でオンライン学習・オンデマンド学習ができる、いつでもどこでも誰でも学べる「学習プラットフォーム(KK2Webサイト)」を提供しています。」と謳っています。
AVCC60周年と共にKK2は開業15年目を迎えましたが、その所在する中央合同庁舎第7号館は、独立行政法人都市再生機構が施行した「霞が関ナレッジスクエア三丁目南地区第一種市街地再開発事業」と国が実施したPFI事業「中央合同庁舎第7号館整備等事業」とが一体的に進められた官民協同のプロジェクトであり、7号館は令和4年3月にPFI事業期間が終了し、運営と維持管理を主とする新たな事業体制となりました。本稿は、この機会にKK2の創設から現在までを振り返り、KK2の足跡を再評価し、今後の展望の参考に供しようとするものです。

1.PFIのグローバルナレッジセンター構想とKK2創設の経緯

(1)霞が関の歴史
「霞が関」の由来
「霞が関」という地名の由来には諸説あり、古くは、日本武尊が蝦夷に備えて設けられたもので、雲霞を隔てる地であったことからつけられた地名という伝説があり、平安期より歌枕の地として多くの和歌に登場する。一方、江戸期以前、荏原郡の東境にあった奥州路の関名によるともいわれ、江戸期には坂の名前となり、汎称として用いられた。明治5年に東京府の町名として「霞ヶ関」となり、昭和42年、現在の霞が関一~三丁目・永田町に地名変更された(角川日本地名大辞典より)。中央合同庁舎第2号館の桜田通りの側に「霞ヶ関跡」の碑がある。

明治初期の官庁
明治初期の官庁は、武家屋敷を利用したものが多く、皇居周辺を中心に点在し、現在の霞が関に初めて立地したのは、明治3年の外務省といわれる。維新政府は天皇親政の目的のため、諸官庁を皇居周辺に配置、明治3年には皇城内本丸跡に諸官庁を集中するよう大蔵省に命じたが、実際には着工されなかった。明治6年に皇城が焼失し、皇城の再営と本丸に諸官庁を集中することを計画したが地質不良により実現しなかった。
諸外国との対等な国交を樹立するという事情から欧化政策が採られ、明治16年にジョサイア・コンドルの設計で鹿鳴館が建設されたが、国会議事堂、裁判所、司法省を含む諸官庁の整備には至らなかった。明治19年ドイツ人技師ベックマンが官庁集中計画を作成したが、東は築地本願寺から西は日枝神社に及ぶ巨大なものだった。その後、ドイツ人技師ホープレヒト、エンデが相次いで来日し、ホベックマン案の規模縮小を図り、中心を庭園とするロの字型の構想が生まれ、一辺およそ600mという広大な正方形の敷地に、四隅に建つ各省は同一形にして全体を一つの巨大な建物のようになる計画となった。明治21年山尾庸三内務省臨時建築局総裁がこの計画に従い、司法省を起工したものの敷地が劣悪で計画の全体を変更、軟弱地は公園(現在の日比谷公園)とし、周辺地に官庁を配置、これが官庁集中計画の実現案となり、現在の霞が関官庁街の骨格となった。
官庁集中計画により国会議事堂建築予定敷地は、麹町区永田町1丁目(現在の千代田区永田町1丁目)に決定していたが、官庁集中計画に多大な経費がかかるため日比谷の一角の内幸町2丁目(現在の霞が関1丁目、経済産業省敷地)に明治23年一時的な仮議事堂を建設した。しかし第1回帝国議会会期中の明治24年焼失、同年第2次仮議事堂を再建。第2次仮議事堂は関東大震災の火災は免れたが大正14年に再び焼失、同年第3次仮議事堂が再建され、昭和11年現在の国会議事堂が完成するまで使用された。 明治28年に竣工した司法省は、施工中の明治24年に濃尾地震が発生したことから、耐震性の強化にも注力され、関東大震災にもほとんど被害を受けなかったが、昭和20年の戦災でれんが壁と床を残し焼失した。昭和25年に改修され使用されていたところ、平成3年に復原改修工事が始められ、平成7年大臣官舎大食堂(現法務史資料展示室)を含め、当時の姿に復原された。

国会議事堂の建設
明治20年に議院建築予定敷地が決定され設計は懸賞募集となった。大正8年に118通の1次応募の中から4通の当選者が決定、この案を参考にして、大正9年着工、同12年の関東大震災による被害も少なく工期17年経て昭和11年に竣工したが、明治14年の国会開設の詔勅公布より55年後の完成となった。その後、関東大震災の復興と相まって、霞が関一帯は空前の建設ラッシュとなった。

終戦後の霞が関
戦後は利用者の利便性を高め、公務能率増進を図るばかりでなく、土地の有効・高度利用、建設費の削減を目指し官庁の集約・合同化が進められた。第一号は中央合同庁舎第1号館で、本格的耐火建築物として昭和29年に完成。増築、改修を経て現在に至っており、農林水産省、林野庁、水産庁が入居している。

(2)国の機関庁舎建て替え方針
昭和50年代に入ると、官庁施設も超高層化し、昭和58年に完成した中央合同庁舎第5号館に厚生省、環境庁、霞が関外にあった労働省と国土庁が入居し、中央官庁の集中は概ね達成した。国土庁には、災害時に内閣総理大臣を本部長とする「災害対策本部」が設置されるため、高度な耐震性が装備された。なお、災害対策本部設置の機能は、国土庁から内閣府(防災担当)へ移管され、現在も第5号館に入居している。
(出典)霞が関の歴史 国土交通省
 https://www.mlit.go.jp/gobuild/kasumi_history_kasumi_history.htm(令和4年6月6日閲覧)

(3)中央合同庁舎第7号館等のPFI方式による整備
都市再生プロジェクト第一次決定(平成13年6月)において、文部科学省(昭和8年建設)、会計検査院(昭和10年建設)についてPFI手法(公共施設等の整備等を民間の資金、経営能力及び技術的能力を活用して行う手法)による建替えと、官庁施設を含む街区全体の再開発の調査を実施することが決定された。これを受け、関係地権者などによる「霞が関三丁目南地区まちづくり協議会」が設立され、地区計画の見直しなどが行われた。中央合同庁舎第7号館は、国有地と民有地を合わせた計画地に、「霞が関三丁目南地区第一種市街地再開発事業」により実施され、国の庁舎部分は特定建築者として国が整備を行い、官民棟の民間部分は再開発事業にて整備された。地区の中央には、「にぎわい」と「うるおい」のある緑豊かな広場を配置して官民融合の象徴とするとともに、江戸城の石垣や旧文部省庁舎の一部保存など、周辺地域と一体感のあるまちづくりを目指すことになった。

(出典)UR都市機構 霞が関三丁目南地区 
https://www.ur-net.go.jp/produce/case/case002.html(令和4年6月6日閲覧)


文部省庁舎 (『大林組70年略史』より)(出典)霞が関の歴史 国土交通省 
https://www.mlit.go.jp/gobuild/kasumi_history_kasumi_history.htm(令和4年6月6日閲覧)


会計検査院庁舎(『竹中工務店70年史』より)

平成14年に国土交通省が公表したPFI事業の定量的評価では、国が直接事業を実施する場合に比べて財政負担が現在価値ベースで約45億円軽減され、民間収益施設との合築により有効活用することで現在価値ベースで約100億円相当の財政縮減効果および収入を見込むことができるとされた。
(出典)国土交通省 https://www.mlit.go.jp/common/001027662.pdf(令和4年6月6日閲覧)

平成14年11月に入札の受付が始まり同15年4月には落札者が決定したが、並行して平成15年度予算で15~32年度の予算が成立して事業スタートし、国とPFI会社が事業契約を締結した。 予算書における事業のイメージは以下のとおり。


(出典)国土交通省大臣官房官庁営繕部平成15年度官庁営繕関係予算概要から
https://www.mlit.go.jp/gobuild/budget/bgt200301.pdf(令和4年6月6日閲覧)

このプロジェクトは国の整備事業と市街地再開発事業が組み合わさっているため複雑であるが、PFI手法を用いる国の庁舎整備時事業の部分が入札となっている。入札の概要は割愛するが、平成14年11月資格確認受付、平成15年3月入札・提案内容受付、平成15年4月落札者決定という流れで実施された。
(出典)国土交通省  https://www.mlit.go.jp/common/001027661.pdf(令和4年6月6日閲覧)

入札概要の内審査体制は以下のとおり。
審査委員長:山内 弘隆 一橋大学大学院商学研究科教授(当時、以下同)
審査委員:
光多 長温 鳥取大学教育地域科学部教授
緒方 瑞穂 日本不動産鑑定協会理事
古谷 誠章 早稲田大学理工学部建築学科教授
高橋 志保彦 神奈川大学工学部建築学科教授
坂本 雄三 東京大学大学院工学系研究科教授
野城 智也 東京大学生産技術研究所教授
ほか関係省庁担当官5名
入札以降の審査経過
事業計画・収益施設検討部会(光多部会長) 3回
施設整備・維持管理検討部会(古谷部会長) 3回
(全体)審査委員会 2回

応募者は3グループだったが、現KK2に繋がるグローバルナレッジセンター構想が応募提案に含まれており、それが審査結果に与えた影響は少なくないので、以下に審査結果を示す。

審査結果  得点(基礎点700+加算点満点300)、入札価格、総合評価
1新日本製鐵グループ
得点 基礎点+加算点=839.167、入札価格882億円、評価値(得点/価格)0.944、順位1
2三井不動産・大林組・清水建設グループ
得点 基礎点+加算点=846.750、入札価格1102億円、評価値(得点/価格)0.768、順位3
3竹中工務店グループ
得点 基礎点+加算点=884.750、入札価格966億円、評価値(得点/価格)0.915、順位2

審査講評では、総評として順位1位となった新日本製鐵グループについて、「産学官連携のナレッジセンター等地域の特色を踏まえた具体的な計画が提案されている」とされ、現KK2構想が特筆されている。更に個別講評として、同グループの民間収益施設の整備計画について、「ナレッジセンターの公共性、必要性及び具体化に向けての検討の精度が評価できる」とされている。
(出典)国土交通省 https://www.mlit.go.jp/common/001027663.pdf(令和4年6月6日閲覧)

竣工後の権利関係概念図

(出典)国土交通省 https://www.mext.go.jp/content/20210402-mxt_kaikesou01-000013766_1.pdf(令和4年6月6日閲覧)

(4)新日本製鐵グループのナレッジセンター構想
入札前に新日本製鐵グループからAVCCへの投げかけがあり、それに呼応する中で入札における提案内容平成15.3 様式2-6-1(2/2)(別添)に示されたとおり肉付けされたものと思われる。その内容は、
・「産学官連携」に資する全国諸団体が利用できる交流・学習・発表センター
 PFI事業の社会還元方策として高機能情報通信設備を装備した多目的センターを設置し、全国の教育機関や学会をはじめ知的集積・交流事業に賛同する諸団体に開放し、相互に活用、参加、交流できる機能
・教育情報化センター
 教育素材をデジタル情報としてネットワーク化・ストック化し、利用者の目的に応じて加工し、付加価値を付けた上で、オンデマンド発信・提供するインタラクティブな情報ハブ機能

このような機能を同グループは(後のPFI会社として)無償で提供するとしている。
落札決定後、グループでPFI会社を組成した同グループは国と事業契約を締結し、AVCCに具体化を要請し、「グローバルナレッジセンター事業企画業務委託契約書」(平成19.9.28付)を締結したが、平成17.11.18から事業の企画業務を受託していたとの表現があり、締結が後付けになったと思われる。グローバルナレッジセンターのコンテンツについてゴールの設定が難しかったために五里霧中で進めざるを得なかったことも背景にあるのではないかと思われる。この頃からAVCCではグローバルナレッジセンター構想が具体化し、「霞が関ナレッジスクエア事業概要」(AVCC作成)、平成19.7.13に結実したと思われる。この文書を添付してその内容の一部とした「グローバルナレッジセンター事業に関わる協定」(PFI会社・AVCC、平成19.7.20)が締結され、国・PFI会社間「中央合同庁舎第7号館整備等事業建物等の建設及び維持管理並びに運営に関する契約」に基づきPFI会社が実施する事業をAVCCに委託、委託料無償、貸室使用貸借、定期的な事業報告(半期ごとPFI会社とPFI会社経由国宛)、年度末に次年度計画提出などが決められている。
また、その後「グローバルナレッジセンター運営に関わる協定」(PFI会社・AVCC、平成19.9.28)が締結され、霞が関ナレッジスクエアと呼称する、定期的な運営内容報告(開業後2年間3か月ごと、以降半期ごと)、推進委員会(運営内容の評価・助言)設置などが決められている。

2.KK2開設からの経過

AVCCの平成19年度修正事業計画書では、PFI会社からの委託条件の詰めが整い次第KK2(仮称)の準備作業に着手となっており、KK2事業についてかなりの字数を割いて説明している。内容的には、「グローバルナレッジセンター事業に関わる協定」(PFI会社・AVCC、平成19.7.20)に添付されている7.13付「事業概要」をほぼ踏襲しているが、転職や生涯学習への対応が新たに登場、エキスパート倶楽部も具体化させている点に変化が見える。期中「グローバルナレッジセンター運営に関わる協定」(PFI会社・AVCC平成19.9.28)が成立し、仮称KK2が正式名称になったと思われる。
平成20年度事業計画書において、霞が関ナレッジスクエア運営委員会(仮称)を設置し、具体的なプログラムの開発や実現を支援する方針が示されている。年に3~4回で、メンバーは産学官連携関係機関、KK2会員などの想定。同年度の事業報告書では、これが実現しており、委員に渡部俊也氏(東京大学先端科学技術研究センター教授)など学識経験者3名、PFI会社(新日鉄エンジニアリング、大成建設、東京建物、久米設計)、KK2担当のAVCC久保田理事、KK2産学連携担当の伊藤主席研究員、オブザーバーとして文科省会計課施設管理班が就任している。当年度の開催は5月8月12月3月の4回で、運営状況が報告されている。
また、霞が関ナレッジスクエア プログラム開発委員会が設置され、内田晶夫氏(ANA総研取締役)ほか3名の委員が就任し毎月検討会が開催された。会員の確保に努めていることも報告されている。 なお、その後運営委員会は年に2回ペースとなり、プログラム開発委員会は不定期となり開催されなくなった。なお、AVCC令和元年事業報告書以降(3年度以降は未定稿)、運営委員会についてPFI会社が主催する霞が関ナレッジスクエア事業のモニタリング機能として開催しているというコメントが付いている。

そして平成20.1.4正式オープンを迎え、4.1から本格稼働となった。
初年度の自主事業(霞が関ゼミナールなど)18本、仕事力向上ライブラリー 約140本、Eラーニング講座(しごと力向上)27単元のパッケージ制作、公共ホームページ[good site]運動、双方向ライブ配信のバージョンアップなど精力的なスタートとなった。なお会員は、協賛会員39機関、法人会員9機関、アカデミック会員8機関、個人会員44人、Web会員(無料登録)2,400人。
平成22年3月の東日本大震災時には、かねて構想中だった「AIDステーション」活動として施設を開放し、周辺に溢れる帰宅困難者約300名を受け入れたが、建物の管理組合・管理会社との連携は図れず、通信装備や備蓄物資の不足などに直面し、その後の災害対策やレジリエンス指向の礎となった感がある。また平成23年には被災地支援のボランティアをデジタル分野で支援する活動を開始したが、これがその後「デジタル公民館まっさき活動」に発展し現在に続いていることを考えると、デジタルが掛け声ではない地に足が付いた活動になったと感じられる。なおこの頃の会員数に劇的な変化はないもののWeb会員は約6,500人となり、全施設合計の利用者は開業当初から年間2万人を超える状態を維持している。
直近の令和2年の会員動向をみると、協賛メンバーなど法人系がかなり減少しているが、Web会員が約2万人規模に急増している。これは個人会員のWeb会員への統合、新型コロナ対応による在宅勤務の定着のほか、DPPを大学で活用したことによる学生会員増の影響と分析されている。なお新型コロナ対策の影響で、全施設の利用者数は激減し5,000人を割った。

3.当初理念と近年の動向

平成30年、開設10周年を機に久保田理事長は次の10年で取り組みたいことをいくつか挙げている。ひとつは、霞が関地域の官民の「学びと交流」の実現として、文科省・金融庁・会計検査院の方々にKK2にWeb登録していただくこと、これらの三官庁に霞が関三丁目町会に参加していただくこと、霞が関地域の災害に対するレジリエンスを高めること。もう一つは、文部科学行政と連携した学習プログラム開催として、文科省にKK2事業との窓口を作り産学連携プログラムを企画開催したい、遠隔教育ネットで全国教育機関を繋ぎ出張せずに現地で参加できる研修会などを開催したいこと、である。いずれも重要なテーマである。しかしいずれもKK2開設時の理念であり、10年を経てこれが語られるというのは何を意味しているのか。隣接する官庁の皆さんが公私ともに学び交流する活動に積極的でないらしい、企業町内会にも門戸を閉ざす省庁であるらしい。産学官の結節点であるという立地の価値は生かされていないようだが、果たしてそのポテンシャルがあるのか、それでいいのか、そういう指摘だと受け止めている。
もう少し詳細にみていくと、KK2の令和3年度上期事業報告書では多様な事業項目が挙げられているが、かなり乱暴に整理すれば、教育のデジタル化研究会などに象徴されるデジタル化による教育の深化・効率化、協賛会員向けサービス、「デジタル公民館」活動(まっさき・やねだん・霞が関三丁目町会)、個人のキャリア形成支援、文化的なコンテンツ発信やイベント、施設提供サービスとなろう。 一方、当初企画されていた事業内容は、次のとおりである。(「霞が関ナレッジスクエア事業概要」AVCC作成、平成19.7.13)

(1)理念
①産学官の新たな活動拠点づくり、産業(虎ノ門エリア)、学術教育文化(文科省の先にある大学)、行政(霞が関エリア)で活躍する人が異質な世界と出会い、夫々の専門性を超えた新たな創造性をつくりだすプラットフォームを目指す→活力ある日本の再生
②基幹事業として、異分野の連携・交流、知との出会い創出、仕事力コミュニケーション力向上 補助事業として、デジタルコンテンツの集積・発信、オンデマンド学習支援、電子検索サービス
(2)事業内容
①交流事業、エキスパート倶楽部、イベント、公共機関・大学との連携・ネットワーク化、日本オープンコースウェア・コンソーシアム(JOCW現15大学)・NPOサイバーキャンパス・コンソーシアムTIES(現49大学)との連携、厚労省連携でキャリア形成支援、全国文化・学習情報提供機関ネットワーク協議会、デジタル・ライブラリアン研究会、ビジネス支援図書館推進協議会を支援・連携。テレビ会議システムで遠隔授業サービス
②研修事業、個人向け研修、会員機関の研修支援
③ eラーニングによる人材育成支援活動
④ICT活用した生涯学習の調査研究、映像情報サービス

以上から、教育とデジタルを繋ぐ事業については当初の理念を生かした展開となっているが、産学官の結節点である立地を生かした各組織の専門性を融合するプラットフォームを構築する事業は道半ばといえよう。日本オープンコースウェア・コンソーシアム(JOCW現15大学)など経年で大きく変化していることもあり、企画時点のままに展開できない事態も生じているようである。

4.PFIの終了と二期計画

中央合同庁舎第7号館は、平成15年6月30日にPFI手法により建設、維持管理・運営等の契約が締結され、平成19年度に建物が完成、令和4年3月31日に契約期間満了となった。国は入居官署職員の活動の円滑な遂行に資するためとして、令和3年4月に維持管理・運営の二期計画の入札公告を行った。結果的に株式会社ハリマビステムを代表企業とする1グループのみの応札となったが、同グループを落札者として、同12月には新たに組成されたSPCとの契約が成立している。二期計画の対象は国の施設のみに限定されており、区分所有建物である関係から共用部分は管理組合、その他の専有部分は当該区分所有者が管理運営を継続する。
当初PFI事業は期間満了で終了したがKK2事業を含めてPFI付帯事業は当初予定通り令和16年度まで継続される。これに伴いPFI会社を構成する出資者に変化が生じている模様である。

5.今後の展望

大きな理念の内、デジタルを使った交流や遠隔学習、キャリア支援などにはかなりの成果を残してきたと言えるが、霞が関地域での官民の学びの交流の実現する分野については再考を要する可能性がある。特にその交流が首都直下地震への地域レジリエンスを高めること、すなわち命に関わることを見据えているだけに、少しずつでも前進を図りたいところである。
また、KK2事業はPFI会社から無償で委託を受けている事業であり、事業主体はPFI会社である。このことから、内容については同社と十分協議・調整を図る必要があるが、PFI会社の構成にも変化が生じており、災害対策や働き方改革への対応を含めて開設時には想定できなかった大きな変化も視野に入れて議論が必要と思われる。
この文章は、一般社団法人 ビル減災研究所 代表理事 /
一般財団法人AVCC 理事 田中 純一がとりまとめた。
(2022年6月23日)