『モアイの絆』(モアイプロジェクト実行委員会 編)

『モアイの絆』 ‐チリ・イースター島から南三陸町への贈り物

『モアイの絆』(モアイプロジェクト実行委員会 編) 

編 者:モアイプロジェクト実行委員会
出版社:言視舎
発 行:2013/07
定 価:1,700円(税別)


【目次】
 1.モアイの絆
 2.日本チリ交流の軌跡

  • ■高校生たちのモアイ像への思いがプロジェクトの発端に

     東日本大震災の発生前、宮城県南三陸町の海に面した松原公園には、チリ領イースター島の石像モアイが立っていた。1960年のチリ地震の際に津波被害を受けた同町が、チリとの友好と防災のシンボルとして1991年に設置したものだ。しかし、東日本大震災による津波で町は一瞬のうちに壊滅し、その後のがれきの中に立っていたのは、頭を失ったモアイの胴体だけだった。
     地元の県立志津川高校では、震災前年からモアイを使った町おこし計画を進めていた。計画のシンボルだったモアイ像に特別の思いを寄せていた同校の教諭や生徒たちは、モアイ像の“救出”を南三陸町役場に何度となく掛け合ったものの、多くの職員と庁舎を失った町にはそれに応える余裕はなかった。しかし、生徒たちの思いは、太平洋を挟んだ二つの国を巻き込む前代未聞の大プロジェクトにつながる。本書は、モアイプロジェクト実現までの軌跡をたどるとともに、そこに人々のどんな思いが込められていたのかを綴ったものである。

  • ■チリからの義捐金が新たなモアイ像となって南三陸町に寄贈された

     大震災に見舞われた日本に対して、チリでは多額の義捐金が寄せられ、日本と関わりの深い10企業が集まってスペイン語で「希望」を意味する「エスペランサ委員会」を立ち上げ、その使い方を探った。そして、チリとの関わりが深い南三陸町に対し、未来に残る形でと考えられたのが、イースター島の自然石でつくる新たなモアイ像の寄贈だった。新たなモアイ像は、チリとの友好に加え、震災からの復興のシンボルともなる。
     また志津川高校からは、生徒のチリ短期留学のアイデアが提案された。生徒と教諭が3週間ほどチリに滞在し、イースター島を含めてチリの産業、文化、風土、国民性を肌で知り、両国の将来にわたる交流につなげるこの短期留学制度は、ひとまず3年間続けるプランが固まっている。
     異なる国と地域、様々な世代と職業の人々が、不思議な縁で交差し、ひとつのプロジェクトを動かした。そして、それぞれをつなぐ結び目に、いつもモアイがあった。なお、モアイには「未来に生きる」の意がある。

  • ◎編者プロフィール

    「モアイプロジェクト実行委員会」は、南三陸町、日智経済委員会、エスペランサ委員会、駐日チリ共和国大使館で構成されている。「モアイプロジェクト」は、イースター島の自然石でつくったモアイ像を南三陸町に贈る活動や、南三陸町の県立志津川高校の生徒をチリへ短期留学させる活動を通して両国の絆を深めるプロジェクト。日本・チリ両国の民間企業・経済界、志津川高校、南三陸町民、チリ大使館や関係各界をはじめとする多くの人々の尽力によって実現された。