『生きることとしての学び』 ‐2010年代・自生する地域コミュニティと共変化する人々(牧野 篤 著)

『生きることとしての学び』 ‐2010年代・自生する地域コミュニティと共変化する人々

『生きることとしての学び』 ‐2010年代・自生する地域コミュニティと共変化する人々(牧野 篤 著) 

著 者:牧野 篤
出版社:東京大学出版会
発 行:2014/06
定 価:5,800円(税別)


【目次】
序.社会と出会うということ
1.学びとしての社会
2.生きることとしての学び
終.〈学び〉としての社会へ

  • ■従来の経済的価値観では解決できない「過疎化問題」

     少子高齢化と過疎化の同時進行により「限界集落」となった農山村は少なくない。これらの過疎地はもはや、人が自らの存在を預け、生きている実感を得る「帰属」の場所でも、自分の存在を担保する「記憶」の場所でもなくなっているといえる。こうした問題を解決すべく、各地方行政は自立を基本に様々な施策を講じてきた。だが、そのどれもが一時的な活気で終わり、本当の意味での地域活性化には結びつかなかった。著者はその理由を、それらの施策が、量的拡大をめざす従来の経済開発モデルの価値に基づいたものであり、当該地域の人々の日常生活に潜む「文化的価値」に目を向けていないところにあるという。
     本書は、その著者の理論をもとに、都市の若者10名が、人口の40%近くが65歳以上という典型的な過疎高齢化の進んだ農山村地区に住まい、高齢者との交流を通して、その地区を新たな生活の価値を生み出す場へと変容させるべく奮闘したプロジェクトの3年間の軌跡である。

  • ■新たな生活の価値を生み出す「農的な生活」

     10名の若者たちの生計の基本は農業だが、農家になるわけではない。彼らのめざすところは、昔からある地元の生活文化を発掘しながら、自分たちの持つ都市的な文化との融合を図ることで、地元の高齢者の生き方の変容を促し、新たな生活のあり方を生み出すことである。著者はこれを「農的な生活」と呼ぶ。
     彼らは、慣れない農作業や異常気象による不作といった試練に耐えながら、高齢者との交流を通して、地元文化の発掘を続けた。たとえば85歳以上の女性しか知らない消滅寸前の伝統料理のレシピを復活させ、現代風にアレンジ、その復活イベントを地元住民と開催する。こうした彼らの努力は、次第に地元住民を「この村は自分たちの代で終わり」という諦めから、自分たちの手で地元を活性化しようという意識に変化させていく。また、プロジェクト終了後も半数はそのまま定住するなど、若者たち自身も変化する。そして地元で結婚、村で25年ぶりの赤ちゃんが誕生した。

  • ◎著者プロフィール

    東京大学大学院教育学研究科教授。名古屋大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。1960年生まれ。主な著書に『多文化コミュニティの学校教育―カナダの小学校より』(学術図書出版社)、『中国変動社会の教育―流動化する個人と市場主義への対応』(勁草書房)、『認められたい欲望と過剰な自分語り―そして居合わせた他者・過去とともにある私へ』(東京大学出版会)など。