『間抜けの構造』
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■「間」「間抜け」をキーワードに文化や社会、人生を語る
「間抜け」と言われてしまう人は、いつの時代にもどこにでもいる。「間抜け」とは、文字通り「"間"の悪い」「"間"を外した」人のこと。では、"間(ま)"とは何だろう?
本書は日本独特の感覚であり、言葉では表現しにくい"間"について、お笑いタレント、映画監督等として活躍するビートたけしさんがさまざまな側面から語ったものである。
"間"は、お笑い芸人、映画や絵画や音楽といった芸術、野球やサッカー、相撲のようなスポーツ、踊りや茶道などの芸事、さらには広く人生全般においても、決定的に重要なものである。漫才や落語では、巧みに"間"をコントロールしてしゃべらないと、客は退屈してしまい、笑いをとることができない。監督として映画を製作するときにも、編集作業での2コマ(12分の1秒)ぐらいの差が、監督の個性となって表れるという。また、映画の中では「説明しすぎない」ことによって、観客に「考える"間"」を与えるようにしているともいう。 -
■意見を述べる、討論をするときには呼吸の"間"の取り方が重要
たけしさんは、テレビ番組「TVタックル」の司会の経験から判明した、意見を述べるときや討論における"間"の取り方のコツについても語っている。"間"がいい人は、息継ぎのタイミングを分かっているという。息継ぎがスムーズでないと、話す内容が頭に入っていかないというのだ。また、討論において、ほかの人の話に入っていくときにも、呼吸の"間"を狙うといい。うまい人だと、否定をせずに「あなたの言う通り」と、肯定して入ってくる。相手が一瞬「うん」となり"間"があくので、そこから入って、自分の話をする。
"間"を大事にするのは日本人の長所であるが、短所でもある。過剰に空気を読み過ぎることはイノベーションにはマイナスになるのだ。「"間"がわかる」というのは全体をうまくまとめることにはなるが、角を丸めてしまう。しかし新しいものをつくるためには、丸く収めず、既存の常識を壊すことも辞さない議論も必要なのである。 -
◎著者プロフィール
1947年、東京都足立区生まれ。漫才コンビ「ツービート」で一世を風靡した後、ソロとしてテレビ、ラジオの出演のほか、映画や出版の世界でも国民的人気を博す。1997年、北野武として監督した映画「HANA-BI」がベネチア国際映画祭グランプリを受賞。著書に『漫才』『裸の王様』など。